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'03.06.14 初版 |
No.002 '03.06.14 なぜオルガンコンサート?(2) 【猿でも弾けるオルガン、されど...】 ━━━━━━━━━━━━━━━ 前回は、デンマークの教会におけるオルガンコンサートについて触れ、その 中で何が「文化」なのか、少し考えてみた。今日は、音楽全般に対する 「リスナーとしての私のバックグラウンド」について、お話ししたい。 オルガンという楽器に開眼した頃のこと。自分が音楽を聴くのが好きになった とは言え、レコードをたくさん買ってきて自宅で聴くような趣味を持つ者は 家族にはいなかった。にも拘わらず家には、レコードがかかり、FM放送も聴け る装置があった。 1960年代、前衛と呼ばれる現代音楽が最も充実していた頃 ... ドナウエッ シンゲン(現代)音楽祭をはじめ、欧州各国の放送局からNHKに送られてくる 刺激的な録音を柴田南雄の優れた解説でしばしば聴いた。解る解らないという 問題よりも、音楽の最先端の現場に触れるという実感があった。クラシック 音楽史の1コマを目撃する、自分が渦中にいる、という感覚に大いに興奮した。 一方でNHKには、小泉文夫が採集した世界各地の民族音楽を彼自身の素敵な 語り口を交えて聴かせる番組があり、とても楽しかった。 また BGM モードとしては、民放のビルボード・ヒットチャート・トップ XX といった類の番組や FEN で午前0時から始まる 'Round Midnight なんぞも よく聴いていたものだ。後者は、たんなるDJ音楽番組だったと思うが、メイ ナード・ファーガソンが吹くハイノートのトランペットをフィーチャーした テーマ曲が、抜群に恰好良かった。こうして私は、同じ頃ジャズにもすんなり とのめり込んでいったのだ。 レコードを聴ける「装置」があったとはいうものの、肝心の「ソフト」はと いえば、初めて渡欧した際に父がパリで土産に買ってき(てくれ)たショパンの LP5枚(ホロヴィッツ、フランソワ、ルービンスタイン、ブライロフスキー、 そして 17歳のポリーニがデビューした直後の録音)と、何らかの都合で我が 家に紛れ込んだ日本盤の1枚(ジョージ・セルとフライシャーのグリーグと シューマンの協奏曲)、これが全てだった。ホロヴィッツのスケルツォ2番、 フランソワのマズルカ、ルービンシュタインのポロネーズ、セルとフライ シャーのグリーグをよく聴いた一方で、ブライロフスキーとポリーニは影が 薄かった。 クラシックXX全集の類は家にはなかったし、モーツァルト、ベートーヴェン、 チャイコフスキー、ブラームスなど、管弦楽や交響曲を中心としたいわゆる 名曲をラジオで聴こうという気も起こらなかったし、また時間的余裕もなかった。 以上が、リスナーとしてのベースになったと思われる私の音楽の「一覧」を要約 したものだ。こうして、自分が面白いと思った音楽は何でも聴いてみるという 貪欲な姿勢と、聴いている片っ端から好き・嫌いをはっきりさせるという習慣 が培われた。それが幸いしたかどうかは判らないが、結果としてどういう種類の 音楽を聴いても、ほぼ最短距離で名演と思われるものに辿り着くようになった。 ちなみに、私が自分で買った最初のLP は、アンドレ・マルシャルのフランク (大オルガンのための作品、全3枚)、マリー=クレール・アランの最初のバッハ 全集の初回のセッションからトリオソナタ#5&6とシュブラー・コラール6曲を 収めた1枚。そして、ビル・エヴァンズの Sunday at the Village Vanguard だった。マルシャルとエヴァンズは、言うまでもなく名盤中の名盤だ。アラン はと言えば、名演かどうかはさておき、私はこのLPがきっかけとなって遂には デンマークへ赴くこととなったのである。 これらは、当時六本木の防衛庁前にあった、中古レコード店(数寄屋橋)ハンター の出店で入手した。店員はお姉さん一人だけという、4畳半程度の店だったが、 白っぽい内装で明るくさっぱりした感じが印象に残っている。学校帰りに時々 遠征して立ち寄った。他に客がいた覚えがないほど閑散としていた上に、中古 や新古盤の試聴は自由。気になる盤があれば、何十分でも気が済むまで聴く ことができた。しかし、最終的にそこで買ったレコードは7、8枚程度だった かもしれない。 1970年に渡欧してからも「一覧」の拡充は続いたが、あちらでも特にジャズ に於いて優れたラジオ番組に恵まれた上に、音楽好きの友人もできた。 音楽は聴くだけでよい。考える必要はない。 が、しかし......。 - - - 多くのオルガンファンがそうであるように、パイプオルガンという楽器に 対する私のアプローチもまた、当初はその「音」自身に対するものだった。 オルガンという楽器が面白いのである。その音、響き、音色が。それに魅せ られて私はオルガン製作者になった。幸いにも、渡欧して間もなくオルガンの 音作りとも言うべき整音作業に専ら従事することができるようになった。 これは日本人としては私が最初だったようだ。 今だからこそ公言するが私は、「オルガン音楽はつまらない」という、コン プレックスを四十数年間抱えている。これは、オルガン製作に従事する自分 の立場からは明言し難いものだ。だが、デンマークでオルガン製作を行う シェフ達も皆、そう思っているようであった。他のジャンルの音楽を聴けば 聴くほどに、その劣勢は誰の目(耳)にも明らかであり、従ってそれは業界の 公然の秘密だと言ってよい。 なぜ「オルガン音楽が面白くない」のかと言うと、まず第一に、とても機械的 で味気のない楽器だ、という理由を挙げられるだろう。その上、オルガンは 一台一台が設計が異なり仕様が違うのだから、個々の楽器の個性を生かして 「音楽的に」面白く弾きこなすには、非常に知的なアプローチが要求される からだとも考えられる。ところが実際には、多くのオルガニストは「教会の 演奏家」であって、知的というよりも情緒的に優っていることが多いように 思う。あるいはまた彼らは、オルガンを面白く弾いてはいけない、という 立場にある。 オルガンという楽器は、幼児でも猿でもロボットでも簡単に鳴らせる。鍵盤を 押せば誰でも同じ音が出せるという点で、あらゆるアクースティック楽器の 中でもオルガンほど単純なものはない。ところが である。楽器の機能を十分に 把握してその力を最大限に発揮させるという段になると、突如としてオルガン は、如何なる楽器よりも格段に難しくなるのである。それは、直観だけでは 直ちに解決できないほど、オルガンと言う楽器が知的に複雑に構成された ものであり得るからである。この化け物のような楽器に生命を吹き込む ことは、至難の業であると言えるのだ。 これをよく理解しておかないと、オルガン音楽が本当に面白くなるために 何が必要なのか、よく解らないことになる。 「オルガン音楽が面白い」ことと、「オルガンという楽器の音が面白い」こと とは同じではない。私がオルガンという楽器に関心を持ち始めてから40年以上 経つというのに、じつは、この2つが十分に両立していると言えるほど感動的 なオルガン音楽を聴いた経験はない。
素晴らしい名器に出逢い、楽器の音に感涙する時、演奏はつまらない。 これは由々しき問題であり、不可解なことだ。その理由を考え出すと眠れない夜が続く(笑)。この矛盾を解消する方策をあれこれ考えているのだが、 名案はあるのか、ないのか。「理由」を深く追求すると、「この2者は両立 しない」ことが理論的に証明されるような気がしてきて、非常に恐ろしい。 意識する・しないに拘わらず、オルガンとオルガン音楽を聴く者・聴かせる者 は皆、この問題に直面している。もちろんそれは、演奏者の問題でもある...。 いずれこれは詳しく説明しよう。(ヒント:この2者矛盾と上記の怪物説とは 密接に関わっているように思われるのだが...。) 私が今やろうとしていること ... それは、「この面白い楽器」をどのように 使って、「面白い音楽」を聴くか・聴いてもらうかということ だと言ってよい。
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