大林徳吾郎(Ohbayashi Tokugoro)
オルガン設計建造家・コンサルタント・プロデューサー
1946年兵庫県に生まれる。1970年〜74年、デンマークのオルガン建造家・P.-G. Andersen のもとで勤務・修行、1978年より、デンマークでオルガンの設計・整音・コンサルタント業務。1979年よりヨーロッパ各地でオルガンの録音を手がける。1982年からデンマークのビルダー、フロベニウス社と協力。1986年 有限会社ユーバルを設立。1997年5月、宮城県白石市「ホワイトキューブ」に、日本初の本格的コンサート・オルガンを完成。
「ホワイトキューブ・オルガンコンサート・シリーズ」プロデューサー。
オルガンの仕様はレパートリーが決める
コンサートホールのオルガン設計で優先すべきことは「どういう音楽が演奏されるか」でしょう。聴衆にとって身近な音楽とは、古典派、ロマン派、そして20世紀の作品であり、その多くは宗教に依存しない音楽です。オルガンにも演奏会用の作品はたくさんあり、これらに完全に対応すること、それが白石市からオルガンの製作を依頼された時にまず考えた点です。教会の伝統を離れ、コンサートの音楽を中心に考えて作られたオルガンはこれまで日本にはなかったのです。
楽器には大原則があります。新しい様式の楽器で古い音楽を演奏することはできても、その逆は無理だということ。バッハやクープランはピアノでも弾けますが、ドビュッシーやショパンをチェンバロで弾く人はいないでしょう。オルガンも同様で「チェンバロ」と「現代ピアノ」の差と同じようなものが、「バロックオルガン」と「現代的オルガン」の間にあります。コンサートホールにあえてバロックのオルガンを導入しようというのであれば、「このオルガンは17、18世紀の音楽専門だから新しい曲は演奏できない」と発注者に了解してもらう必要があるでしょう。ホワイトキューブは公共の多目的な音楽ホールであり、オルガンの用途が判らないままに古典的オルガンを設置することはできないと判断しました。モダンなデザインのホールですから、形に制約の多い本格的バロックオルガンを導入できないことも明らかでした。
「オルガンファン」と「音楽ファン」
もうひとつ意識したのは、「個性的デザインを前面に出した楽器は相応しくない」ということです。ホールのオルガンは音楽演奏を聴いてもらうためのものです。「作品」として楽器の主張が強すぎると音楽を殺してしまう危険性さえあります。作品はあくまでも「音楽」であり、我々はその手助けをするだけ。主役は演奏家であり聴衆です。ピアノを見れば明らかでしょう。「プロ」の音楽家がベストを尽くして演奏できるような環境を用意することが、コンサートオルガンを製作する者の使命です。デザインは建築家の領域であり、公共ホールに「作家性」の強いオルガンを導入する必要はありません。重要なのは誰が作ったかではなくて、楽器としての表現力と総合的な完成度です。
けれどもそうした理想とは別に、「オルガンファン」にとっては、「オルガン自身」が関心の対象になっています。「ハードとしてのオルガン」を重視するオルガンファンを満足させることも大切です。けれどもそれにこだわりすぎると、今度は「いい音楽を聴きたい」という「一般の音楽ファン」を取り込めない。これがオルガン世界の抱える矛盾ですが、それを逆手に取れば広範囲な聴衆を獲得することもできるのです。そのためには、楽器と演奏家のインタープレイ(相互作用)が鍵となるしょう。
「ロマン派様式に則った現代的オルガン」
重要なのは目的を満たす楽器を作ることであり、その手段としてロマン派様式を採用したのです。オルガンの設計製作現場では、最初から目的として様式があるわけではありません。ロマン派音楽の表現には「デュナーミク(ダイナミックレンジ)を自由に調整できる」機能が重要です。消え入るような弱音からオーケストラのトゥッティをも凌ぐフォルティシモまで自由に変えられることです。もう一つは「音色の種類」が豊富であること、そしてそれを瞬時に選べることでしょう。
ロマン派のオルガンというと19世紀フランスのカヴァイエ=コルが有名ですが、実際はロマン派様式の発達は20世紀に入っても続きました。カヴァイエ=コルのオルガンは過渡的なもので、デュナーミクの機能も十分とは言えません。20世紀になり英米の製作者の手でさらにデュナーミクを拡大したり、新しいストップが考案されて音色の可能性も広がったのです。例えばデュリュフレの曲を、作曲者自身が親しんでいたフランスの教会オルガンで弾いたものと、EMスキナー作イエール大学のオルガンを使って弾いたものを比べれば、後者の方が音楽的な効果は格段に大きいわけです。
デュナーミクの拡大で大切なのは、むしろ弱音の側です。ピアニッシモのストップが有ってスウェルを閉じると「ピアニシシシッシモ」になる。弱音域での微妙なデュナーミクこそ叙情的な表現に重要です。オーケストラとの共演で指揮者がしばしば要求するのも最弱音です。せっかくホールにオルガンがあっても、オルガニストは今まで指揮者の要求に対して「できない」というしかなかったのです。
白石ではロマン派様式のオルガンが必要だったというよりも、オルガンの歴史の中にわれわれ自身を捉え、「現実的な音楽」を演奏するためのオルガンを用意したのです。ルネサンス、前衛、古典派、想像上の様式、どのようなスタイルでも、用途や建物など条件が揃えば作れます。「オルガン文化」を云々するのであれば、明確な目的意識をもって、我々が考え、作り、使っていかなければならない。400年前、宣教師の指導のもと、布教のために日本でオルガンを作りはじめた人たちのことを考えてみてください。
オルガンでは様式は有って無いようなもの。白石のオルガンは白石様式と言ってもよい。さいわいにも、ホワイトキューブの計画ではオルガンの形状はもちろん、ホール内での設置位置やステージ周りのレイアウトを検討する余裕がありました。音響やオルガンのレイアウトなどに関して建築家とオルガン製作者とが十分に討議することが望ましいのですが、外国のビルダーに発注する場合など、こういった重要な作業がこれまで行われていません。教会など特定の環境で仕事をしている欧米の製作者の関心事でもないからでしょう。
古典様式のオルガンを音楽ホールに導入する問題点はいろいろあります。なぜならばオルガンの様式は、各地・各時代の「当時の音楽」だけでなく「その地域の平均的な教会の音響状態」に適するように発達してきたからです。ルネサンス以後、時代が下るに従ってこういった分化は顕著になります。日本のホールとは規模も音響もまったく違う環境から生まれた様式をまねて「北ドイツ風」や「フランスの古典的」なオルガンを入れてもダメなんです。ピリオド楽器としてオルガンの復元を図るのであれば、共鳴体である建物を含めて考えなければ意味はない。この点が他の楽器とは根本的に違います。オルガンにとって建物自身が楽器だと言われるゆえんです。
ハードとソフトの一体化……ホワイトキューブの「オリジナル企画」
完成から半年後、古楽の世界では著名なオルガニストがホワイトキューブの主催で演奏しました。プログラムは古典だけで、彼はスウェルペダルには一切触れませんでした。それだけならまだしも、冒頭の曲《バターリャ》をチューバ・ミラビリスで弾いてしまった、数分間和音の連続で! これは大編成オーケストラのトゥッティと渡り合うための最強音ストップなんです。たまげました、気が狂いそうで。有名な教会オルガニストでも「オルガンという楽器」を知らない(?)人はいるのです。
さすがに主催者側でもこれはおかしいぞということになり、この楽器の作者として相談を受けました。そして翌年から私が市のオルガンコンサートの企画を引き受けることになったのです。もともと自分が理想とするような「オルガン演奏」を聴きたいためにオルガンの設計製作をしてきたという想いが強かったので、今後は用途不明のオルガン製作を請け負うよりは、すでに日本のホールや教会等に設置されたオルガンの活用に貢献することの方が大切ではないかと考えています。
集客は重要ですが、それは良い音楽をできるだけ多くの人に聴いてもらいたいからです。ビルダーならみな考えているでしょうが、オルガンの場合「名曲」かどうかよりも、「良い演奏」かどうかが問題です。そういう態度で接しなければ、即興演奏の面白さも理解できません。楽器の個性が十分に発揮されてはじめて、「優れたオルガン演奏」になります。これはオルガン音楽の大きな特徴でしょう。良い演奏かどうかを決めるのは聴き手の感性です。「名曲」をおざなりに弾いても、オルガンの面白さが伝わらなければ聴衆はリピーターにはなりません。結局、自分が聴いて面白い演奏家、もっと多くの人たちに聴いて欲しい演奏家、意欲的にレパートリーに取り組む演奏家、そういった人たちを紹介して、地道にオルガンの聴衆を育む以外に王道はなさそうです。
白石では、「公共のサービスだからこそ集客を気にせずに良い音楽を聴かせることが大切だ」ということが、市長以下関係者の方々の間で理解されているはずです。無名でも優れた音楽家がいれば取り上げます。無名と言っても、白石で招聘するアーチストは海外ではすでに超一流か、知る人ぞ知るといった人たちばかりです。そういった人たちに来て弾いてもらうので、最近では首都圏はもちろん関西方面から聴きに来られる方もおられます。けれども潜在的な聴衆をもっと掘り起こさないといけません。
すぐれた「コンサート」オルガニストたち
優れた演奏家を見つけてくるのは容易な仕事ではありません。面白いCDはすぐ廃盤になる(笑)。また、自分より巧い演奏家を紹介してくれるオルガニストはめったにいません。録音の方がリラックスして良い演奏をする人もいれば、ライヴの方が集中力が増して良い演奏をする人もいる。教会とコンサートホールの違いも常に念頭において判断する必要があります。
例えば、昨年夏招聘したド・ボルギャールはCDも無いし、オルガン関係者の間では全く無名でした。けれどもピアニストのアファナシェフが「狂気を感じさせるオルガニスト」と書いていたのを読んでぜひ聴いてみたいと思ったのです。アンコールで演った即興も含め演奏は期待に違わず素晴らしいものでした。来春また招待します。
ホワイトキューブ完成時に披露演奏を行ったカルロ・カーリーは、今年6年ぶりに来日し、エルガーの《ソナタ》を日本で初演しました。オルガンという楽器でこれほどまでロマンティックな表現ができるとは想像できなかったほど、濃厚な演奏を聴かせてくれました。ロマン派の作品を弾かせたら今や最も感動的な演奏をしてくれるオルガン界の巨人だと思います。実際、身体も大きいけれど(笑)……とても優しい演奏をする人です。
白石では、私自身が最も聴きたいオルガニストを年に2〜3回のペースで招聘しています。過去のコンサートからの抜粋は、すでにウェブサイト上で聴くこともできますが、今後はこうした優れた演奏家の録音制作も手がけていななければならないと考えています。これだけ振幅の大きいオルガンコンサートを催している場所は他にはないかもしれませんが、オルガンの可能性とパワーを音楽ファン全体に知ってもらうことが急務です。クラシック以外の奏者、日本やアジアなど欧米以外の演奏家も含め、幅広く紹介していくつもりです。芸術のジャンルが際限なく拡大する中で、オルガンとその音楽もまた変わっていきます。仕様を自由に設定できる楽器だからこそ、オルガンはつねに時代を反映する現代楽器でしたし、今後もそうあり続けるでしょう。
オルガンは「これから」の楽器
コンサートアーチストがほとんどいないオルガンの世界では「演奏の進化」がとても緩慢でした。録音で聴ける「往年の名演奏」はいないに等しいし、ピアノやバイオリンでは20世紀半ばに頂点に達していた「演奏の時代」も、オルガンでは今まさに始まったばかりです。過去500年の間に創られた作品も無数にあるし、料理の素材は揃っています。そのうえ、即興演奏という切り札もあるし! 一方では演奏の時代になっているのに、他方ではたくさんのオルガンがあくびをかいているのです。このギャップを埋めないといけません。
今まさに「旬」のオルガン演奏です。「絶滅しかかっている音楽」だなんて決め付けないで(笑)、ぜひ一度足をはこんでいただき、「コンサート・オルガニスト」による「オルガン演奏」の最前線を実感してみて下さい。
レコード芸術 (音楽の友社 発行) 2003年9月号 に掲載 (Vol. 52, No. 636)
レコード芸術編集部 のご好意によりここに再録しました。 |