ヴィヴァルディの「四季」 をめぐる
音楽と詩とダンスのコラボレーション


プログラムノート  < 武久源造インタビューより >

このところ、教会にあったオルガンという楽器がコンサートホールに置かれるように なってきて、私もその一人なのですが、今までとは違ったアプローチをしようと様々 なことが試みられているように思います。しかし、もともとオルガンは中世の教会か ら発展した楽器ではなくて、その前のギリシャ時代にはすでに一つの文化として完結 していました。それがいったん滅んで、次ぎにキリスト教の布教のために教会でオル ガンが発展したのです。そうであるなら、「オルガンがコンサートホールに置かれる 」という現象は、大きな流れから見ると、歴史がリセットされてギリシャ時代に戻っ たという感じがあります。つまり、ギリシャ時代というのはギリシャ演劇の全盛期で 、オルガンも演劇的な内容で使われることがあったのだと思います。そういう歴史が 戻ってきているのだ捉えてみて、せっかくコンサートホールに素晴らしいオルガンが あるのだから、今までにないパフォーマンスをやってみたいと考えるようになりまし た。最終的には自分のオリジナルな作品を創ってみたいという遠大なことを考えてい るのですが、最初はなかなか大変なので、バッハもやっていたヴィヴァルディのコン チェルトの編曲あたりから始めてみようと。

ところで、バッハが編曲したのは作品3の「調和の霊感」というコンチェルト集なの ですが、「四季」が収められている作品8は1725年に作られた作品です。恐らく バッハはこの曲を知らなかったと思うし、知っていたとしても編曲してみたかは分か りません。それを自分で編曲して演奏するだけでも十分面白いのですが、コンサート ホールでのオルガンの意義を問い直すという観点から発展させるにはどうしたらいい のかと考えました。ところで、もともと「四季」には詩が付いていて、オペラの幕間 に演奏されたものでした。つまり、観客はオペラの中で登場してくる人間模様、自然 模様を思い浮かべながら「四季」を聴いたわけで、そこでは俳優や詩人が音楽に関わ って演技などを付けながら上演されたということは十分考えられるのです。そこで、 ヴィヴァルディの精神に帰りつつ、さらに自分たちの新たな発展を模索してみたいと いう気持ちから、今回のコラボレーションを思いついたのです。


詩人の雨宮慶子さんとは、ある詩の朗読の会で詩を読んでいるのを聴いて、ぜひ一緒 にやってみたいと強く感じたので昨年から一緒に活動を始めました。彼女から産み出 される言葉の持つ飛躍力も素晴らしいのですが、声を出した時に発揮されるある種の 巫女的なカリスマ性が本当に素晴らしい。それに、驚くほどいろんなことを見たり聴 いたりしていて、自分も知らないような音楽を沢山知っている。そういう意味でもな かなか頼りになるし刺激的な方です。ダンスの北野さんは雨宮さんの紹介で、4月に 行われた演奏会から一緒に活動しています。経歴の通りの大変活動的な方です。そし て前回から参加した小林和史さんも雨宮さんの紹介です。北野さんの衣装を制作して いただいています。みんな既存のものに飽きたらずに、したたかに何か新しいことを やろうとしている人たちです。

さて、人はなぜ劇場に足を運ぶのかと考えたときに、何か不可思議なもの、仮に"X "と名付けてみますが、その"X"に出会いたいからなのだと思うのです。その"X"が 生まれるためには、それぞれの表現者が持っているものを持ち寄りながらも、そのど こにもないようなものが出てくることが必要で、コラボレーションはひょっとしたら それができるかもしれない方法だと思っています。今回も4人がある種の温度に達し たときに"X"が生まれるのではないかと、いま、その"X"に出会いたくてしょうがな い自分がいて、禅問答に等しいような問いをしている毎日です。


話は変わりますが、ヴィヴァルディの活躍していたヴェネツィアは、今日のニューヨ ークのような国際都市で、アラブ人もアフリカ人もいろんな人がいましたが、「四季 」のような曲は国際都市でないと生まれない音楽だと思うのです。彼は元気だった頃 のジャズやシャンソンのように世界中の人に受けるような音楽の要素を身体で知って いる。

スペインのメナルトが作曲したティエントもそのような曲の一つですが、この曲の持 っているアラブ的な要素からは、当時はヨーロッパよりもアラブの方が様々な文化の クォリティが高かったことが感じられます。モーツァルトもヨーロッパ各地で生活し 、まるで国際都市そのもののような人ですが、彼の音楽もそれに通じるものがありま す。

一方で、バッハの生活していた場所はドイツの田舎の非常に狭い場所です。しかし彼 のマインドは日常とは関係なく宿命的に国際的にならざるを得なかったところがあり ます。つまり、当時ヨーロッパの最先端をリードしていたヴェネツィアの4人の作曲 家たち、ヴィヴァルディ、アルビノーニ、マルチェロ兄弟たちは総てアマチュアを自 認していて、音楽は本業の余技でやっていたということを誇りにしていました。にも かかわらず最先端だったというところにあの時代のヴェネツィアのすごさがあります。

その反面、バッハは音楽家になる以外には能のないような人だったので、彼らのよう な自由人としての生き方、アマチュアでありながら最先端を走れる余裕をとてもうら やましく思ったに違いありません。そんなバッハはせめて音楽だけでもあやかりたい と思って彼らの音楽を一生懸命コピーして勉強するうちに、日常生活とは無関係に彼 のマインドはどんどん国際化していったのです。そんなバッハの状況はヨーロッパや アメリカに追いまくられて音楽をやっている日本人にとてもよく似ています。そして 当時のヨーロッパの人たちはドイツから何か出てくることは全く期待していなかった のですが、そこへバッハが登場して、そのあとしばらくドイツ音楽の全盛期が続いた のです。果たして世界の人から今の日本がどれだけ期待されているかは分かりません が、自分たちの表現とか意志が非常に問われている時代だと強く感じています。その ような気持ちから、メナルトやモーツァルをプログラムの初めに演奏しようと決めま した。


自分はいま、オルガンやチェンバロの世界を純粋に追求するという活動と、そこへい ろんな予期せざる要素を受け容れるという活動の両方を欲しているように思います。 音楽と音楽でないものの間に自分が立っていて片足を音楽でないものに突っ込んでい るうちに、自分の中で音楽であると思われていたものと、音楽ではないと思われてい たものが混ざって音楽の領域がにじむように拡散していくことにとても喜びを感じて います。そしてそれが私にとって音楽活動を行ういちばん強い要因にもなっているの です。



This page first uploaded on 1999-7-29.