ナジ・ハキム オルガンリサイタル
2002年2月17日(日) 午後2時 開演


プログラム・曲目解説



ナジ・ハキム (1955- )  恋しい人
Naji Hakim : Le Bien-Aimé

1. 恋い慕う人が見つかった - 2. 私たちの喜びと楽しみ - 3. 恋しい人よ、来て下さい - 4. 影が闇にまぎれる前に - 5. 姿はレバノンの山、杉のような若者 - 6. 火花を散らして燃える炎 - 7. ごらん、恋しい人が山を越え、丘を跳んでやって来る

7つの楽章からなる交響的組曲 『恋しい人』 は、降誕節(注1)の典礼において、通称「おお アンティフォナ」(注2)と呼ばれる7つの聖歌と交互に演奏するために作曲された。その音楽は、グレゴリア聖歌の旋律にもとづいて、旧約聖書の「雅歌(ソロモンの歌)」のテクストをシンボリックに表現したものである。タイトルから判るとおり、愛する人に対する忠信を歌ったもの。イギリスの Berkhamsted Collegiate School からの委嘱作品。

(注1) クリスマスの4週間前の日曜日から始まる準備期間(降臨節・待降節)
(注2) 各テクストが「おお (O)」という感嘆詞で始まる7つのマニフィカト(マリアの歌)のアンティフォナ(典礼聖歌の一種)、「おお、英知よ」「おお、主よ」「おお、エッサイの切り株」「おお、ダビデの鍵」「おお、さし昇る朝日」「おお、諸国民の王」「おお、インマヌエル」を指す。クリスマス前夜に先立つ7日間に1つずつ歌われる。


ジャン・ラングレ (1907-1991)  主の降誕
Jean Langlais : La Nativite

『主(キリスト)の降誕』(La Nativite)はラングレの最も初期の作品である組曲、" Poemes Evangeliques "(福音詩)の中心をなす曲で、クリスマスのための詩的な瞑想を音楽に表した作品である。かいば桶、天使、羊飼い、そして聖家族が順次描写される。教会旋法を用い簡潔に構成された作品で、ブルターニュ地方の民謡「かいば桶の救い主」 " Salut O Sainte Creche " がその中で用いられている。


オリヴィエ・メシアン (1908-1992)  神はわれらの中に
Olivier Messiaen: Dieu parmi nous

オリヴィエ・メシアンも、キリストの誕生を描いた「主の降誕」(全9曲)を 1935年に作曲している。その最後に置かれた『神はわれらの中[うち]に』は彼が遺した代表的オルガン作品と言ってよい。この曲では3つのテーマが用いられる。 (1) 冒頭の和音に続いて足鍵盤で力強く奏される下降する音形は、神の栄光を受けた空から地上への降下、すなわちキリストにおける神の顕現; (2) 続いて聞こえる甘美な部分は、キリストの包括的な愛(Communion); (3) 次ぎに鳥の囀りとして現れるのは魂の歓喜 〜聖母マリアへの賛歌(Magnificat)をそれぞれ表している。これらの主題は順次展開し、ついには元のテーマに基づく壮大なトッカータへと発展して幕を閉じる。


シャルル・トゥルヌミール (1870-1939)  顕現日のための幻想曲
Charles Tournemire : Fantaisie de l'Epiphanie

フランクが亡くなるとピエルネが聖クロチルド教会のオルガニストとなり、さらに9年後、その地位はやはりフランクの弟子であったトゥルヌミールに引き継がれた。その最高傑作は全51巻253曲よりなる「神秘的オルガン(L'Orgue Mystique)」であり、神秘主義者であった彼はこの作品を通じて自分の信条を主張した。この作品の長さを合計すると、バッハの全オルガン曲に匹敵する。彼はこの作品で、バッハがプロテスタントの礼拝のために行ったのと同様の業績を、カトリックの典礼のために成し遂げたと言ってよい。

本日演奏される『顕現日のための幻想曲』は、「神秘的オルガン」の第7集、「顕現日(注3)のための聖務 」(1928年作曲) の最後に置かれた曲である。典礼上ふさわしい以下のような聖歌を組み合わせて作曲されている: Alleluia ... vidimus, Ego dormivi, Crudelis Herodes, そしてレスポンソリウムの Omnes de Saba である。この中、Ego dormivi 以外は全て顕現日に属する。この聖歌ふうの旋律は、復活祭の宵(しょう)課の3番目のアンティフォナであり、「神秘的オルガン」を形作る他のいくつかの聖務(のための作品)にも使われている。この旋律は長い間トゥルヌミールの創作であると思われていた。しかし実際にはこの旋律こそ、典礼歴の中心にある復活祭と、クリスマス、聖母被昇天、無原罪の御宿りなどの主要な祝日を、音楽的にもまた典礼の上でも結びつける役割を担っているのである。

(注3) 顕現日(公現日、エピファニー):1月6日、降誕日(クリスマス)の12日後にやって来る祝日。イエスがヨルダン川で洗礼を受けて神の子とされ、キリストとして世界に現れたこと を記念する日。


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セザール・フランク (1822-1890)  祈り
César Franck : Prière (Op. 20)

「6つの作品」の中の一曲で、1862年に作曲された。単一のテーマから全ての部分が導き出される。そのさまざまな和声的、また旋律的な変形により、音楽はロマンティックで表現に富んだ大規模な詩へと発展する。

ナジ・ハキム (1955- )  最後の審判
Naji Hakim : The Last Judgment

新約聖書 マタイによる福音書 25章 31〜46節

人の子は栄光に輝き、天使たちを従えてやって来るとき、その栄光の座に着く。そして、全ての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。

そこで、王は右側にいる人たちに言う。「さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からあなた方のために用意されている国を受け継ぎなさい。あなた方は、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに衣服を与え、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。」すると、正しい人たちが王に答える。「主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えておられるのを見て食べさせ、のどが渇いておられるのを見て飲み物をさし上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見て宿を貸し、裸でおられるのを見て服をお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたのを見て、お訪ねしたでしょうか。」そこで、王は答える。「あなた方に言っておく。私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしてくれたことは、すなわち、わたしにしてくれたことなのである。」

それから、王は左側にいる人たちにも言う。「呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入ってしまえ。お前たちは、私が飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに衣服を与えず、病気のときや牢にいたときに訪ねてくれなかったからだ。」すると、彼らも答える。「主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。」そこで、王は答える。「はっきり言っておく。お前たちが、この最も小さい者の一人にしてくれなかったことは、すなわち、わたしにしてくれなかったことなのである。」

こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。

この作品は、2000年4月 シアトルの聖ジェイムズ大聖堂に完成した新しいオルガンの披露に際して委嘱された。マタイ福音書(25:31-46)のテクストに基づき絵画的に描写された、交響的作品である。テクストの記述は象徴的に音楽に表されているが、その他にも聖書の記述から曲想を得ている部分がある。

初めの部分で描かれる、闇に転じる太陽は使徒行伝(2:20 主の偉大な輝かしい日が来る前に、太陽は暗くなり、月は血のように赤くなる)から、また、全ての民が集められる前に鳴る12の和音は、12の玉座を象徴しているが、これは、マタイ福音書(19:28人の子が栄光の座に座るとき、あなた方もわたしに従って来たのだから、12の座に座ってイスラエルの12部族を治めることになる)に記されている。

また、グレゴリア聖歌の旋律も、以下のようにテーマとして用いられている: 天使ミサより Gloria(三位一体の神を賞賛する栄光の賛歌)、エピファニー より Alleluia、レクイエム より Dies irae(怒りの日)、葬送のアンティフォナ より In Paradisum(天国にて)。そして、旋律よりテクストに重きが置かれるレシタティーヴォ部分のスタイルは、作曲者の母国語であるアラビア語による朗読調のリズムに従っている。

この作品では管弦楽的な効果が求められており、従ってその演奏にはシンフォニックなオルガンが必要である。


(ナジ・ハキム、大林徳吾郎)



First uploaded: 2002. 2. 6